古代日本
「倭」という名前で中国史で初めて言及される西暦57年まで日本は歴史に登場しない[*1]。その土地は、文字や政治的結束を持たない数百の部族集団に分かれていたと中国の歴史家は伝えている。日本人は、西暦600年前後まで自国の歴史を記録しはじめなかった。西暦700年の大規模な年代記、『古事記』と『日本書紀』で日本の歴史編纂は頂点を迎える。これらの記紀は、「日本人は神々から生まれた」といったおおよそ事実と異なる伝説的な日本の歴史を語る。
日本は、アジア史における後発参入者だ。前千年紀[西暦1~1000年]の後半に国を統一し自国の歴史を気にし始める以前に起こったことは、長期に渡る移住と定住だ。日本人は何処から来たのか?なぜ彼らはこの島々に定住したのか?有史以前の生活はどのようであったか?
古代日本史を理解するためには、日本が外部からの影響により突き動かされたと考えると理解しやすい。まず初めに、朝鮮半島からの集団が紀元前3世紀に日本に定住したことが影響した。彼らは、一夜にして日本の石器文化を農耕・鉄器文化へと作り替えた。この初期の移民は突き詰めると日本語や日本文化の起源である。[*2]
日本史へ第二の大きな影響は、西暦200年以降の中国との接触だ。日本を朝貢国としたい中国から日本は、政治体制・仏教・文字を導入した。日本文化の根本は前3世紀の移民に由来するものの、日本文化の大部分を鍛え上げたのは中国の素材である。事実このことが、中国の添加物から日本の原文化を回復させようとした学者たちの試みである18~19世紀の文化革命の原動力となった。
圧倒的事実として、日本文化のあらゆる側面を満たすものはその地形である。日本は、600の有人島を含む3000の島々からなる群島だ。しかし日本の歴史を支配するのは本州・九州・四国・北海道の4つの主要島だ。最大の島は本州である。しかし列島の全体的な居住可能な範囲はカリフォルニアよりも小さい。熱帯地方から北へと流れる黒潮が列島に沿って流れるため、気候は心地良く温暖だ。全ての島々は山がちであり、様々な自然災害、特に地震と津波を免れない。山岳地は日本文化にその特徴を与える。山々が厳しい自然の障壁となるため、日本の政治形態は中央集権的ではなく地方に分散化した。日本史が最初に花開いたのは、南部の大和平野に代表される本州の低地に広がる平野であった。この地域は日本にとって最初の公式名である「大和」と名づけられた。この日本最初の王国は後の日本の文明化の礎を築いた。
列島としての日本は、紀元前10,000年から現在に到るまで大陸から常に隔絶されてきた。そのため原住民は、西方地域が都市化されるまでの長いあいだ石器時代のままでいられた。この島の立地は、外敵の侵略から日本を守りもした。日本の歴史上において外国の侵略が成功したのはたったの2回しかない。前3世紀の朝鮮半島からの移民の波と、1945年の米国のみだ。
日本の中で文化の変容を最も示した地域は、ご想像の通りアジア大陸に最も近い地域だ。つまり朝鮮半島に近い南方の島・九州と、本州南西の半島[紀伊半島のこと]である。[*3]この地域は紀元前3世紀に日本最初の移民がやって来た土地で、日本最初の国家が制定された地でもある。すなわち大和半島(本州の南西の半島)の大和国家だ。
歴史書への日本の登場は遅いものの、その始まりは数万年前の「縄文」という独特で精気に満ちた文化を遂には生み出したであろう不思議な人々に遡る。
*1...『後漢書』東夷伝:「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす
*2...この段落は突込みどころが多いと思われる。コメ欄に書き込みいただければ幸い。
*3...紀伊半島は大陸に近いのだろうか?
[]内は訳者による注釈