2011年8月24日水曜日

There was no sword arts/spear arts in Korea

 

Some think Korean also had excellent traditional sword/spear arts like Japanese or Chinese. They truely believe that every country must had their own sword arts. But historical Korean documents unmercifully pointed out thier belief is not true.


[Annals of the Chosun Dynasty Seongjong] 11th Year from Seongjong reign (1480) 6th Month 11th Day

矧惟國人, 不慣槍劍, 專業弓矢, 爲禦敵之備

The people were not accustomed to use of sword or spear, defended from the enemy only by archery.

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[Annals of the Chosun Dynasty Seonjo] 25th Year from Seonjo reign (1592) 10th Month 13rd Day

我國絶無劒手

There was no swordman in our country at all.

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[Annals of the Chosun Dynasty Seonjo] 27th Year from Seonjo reign (1594) 7th Month 11th Day

我國自古劍術不傳

There has been not descendent any sword swordplay from acient time in our country.

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Korean Official Record totally admit that there was no sword arts and spear arts in Korea. I feel sorry for someone who are beguiled by Korean arts.

2011年8月22日月曜日

シャルル・ダレ著『朝鮮事情』(1874)

 

朝鮮では、人びとが非常に高い声で話すので、集会はとくに騒がしい。できるだけ高い声で叫ぶことは、物腰が上品である証左となる(ママ)。社交界では、普通の声で話すのは、奇を衒おうとしている変わり者だと思われ、他人からは悪く見られる。朝鮮人が喧騒を好むのは、先天的である。彼らの考えでは、大騒ぎして、はじめて、ものごとは正されるのである。

 

朝鮮人は、男女とも、生まれつき非常に熱情的である。しかし、真の愛情は、この国には全く存在しない。彼らの熱情は純粋に肉体的なものであって、そこにはなんら真心がない。彼らは、自分自身を満足させるため、手に届く対象には何にでもやたらと飛びつくあの動物的な欲望、獣的本能以外は知らない。したがって、風紀の腐敗は想像を絶し、「人びとの過半数は、自分たちの真の両親を知らない」と、大胆に断言さえできるのである。異教徒の男に凌辱されようとした瞬間、キリスト教徒の女性は、しばしば次のように言って彼らを思いとどまらせた。「私に近づかないで下さい。私はあなた様の娘なのです」。すると異教徒は、それが真実ではないとしても、少なくとも非常にありそうな事実だと悟って、退くのである。さらにこの国では、いかなる宗教的拘束も、情熱を抑制することはできない。風習と物質生活上の必要のゆえに、貧しい人びと、すなわち人口の半分がしばしば貞操観念を忘れるように強いられるこの国では、これ以外にどんな方法があるだろうか?

 

ほとんどすべての子供は、九歳か十歳まで、あるいはそれ以上になっても、夏のあいだは裸のままで過ごすか、あるいは腰までの小さな上衣を身につけているにすぎない。

 

一人旅をしている女性が旅宿で夜を過ごしたりしたら、見知らぬ者の餌食になることは間違いない。ときには男の同伴者がいるときでさえ、男がしっかりと武装していなければ、彼女を十分に守ることはできない。売春が白昼いたるところで行なわれ、男色やその他の自然に反する犯罪が、かなつ頻繁にある。
街道筋では、いたるところの村の入り口に身分の低い娼婦が米焼酎の瓶を手にしており、それを旅人に供する。おおかたの男たちが足を留めて、彼女たちに歌をうたわせたり、いっしょにふざけ合ったりする。仮にある男が彼女たちを無視して通り過ぎようとすれば、彼女たちはためらわずに男の服をつかんで道を塞ぐ。

 

朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。異教徒のあいだには、なんらの倫理教育も行なわれていないし、キリスト教徒の場合も、教育がその成果をあらわすまでには時間がかかる。大人が不断の怒りを笑って済ませるから、子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。

 

彼らは、怒りっぽいが、それと同程度に、復讐心に満ちている。たとえば、五十の陰謀のうち四十九までが何人かの陰謀加担者によって事前に暴露される。これらはほとんどいつも、個人的な恨みを満足させるためのものであったり、かつての少し辛辣な言葉に対する仕返しのためであったりする。敵対する者たちの頭上に懲罰を加えることができるならば、自分が罰せられることなど、彼らにとってば何でもないのである。

 

朝鮮人を、無気力で臆病だとは非難できない。彼らは、必要な場合には、答刑や杖刑その他の刑罰を、まったく平然と耐え忍び、いささかの感情も外に出そうとはしない。彼らは、病気のときでも耐える。彼らには、肉体を鍛練する多くの趣味がある。例えば、弓術や狩り等があり、決して疲労のために屈することはない。
しかし不思議なことに、にもかかわらず軍隊は概して非常に弱く、彼らは重大な危険があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。たぶんそれは、訓練不足か組織の欠陥のためであろう。有能な将官さえいれぼ、朝鮮人はすばらしい軍隊になるだろうと、宜教師たちは確信している。

 

たぶん、適切な季節に十分に計画を練って虎退治をすれば、この動物を多く捕殺し、残りを人のほとんど住まない大山脈のなかに追いやることができるであろう。しかし、人びとは、当面の危険を排除することしか考えず、将来のこととか全体の利益とかには何も気をくばらない。

 

朝鮮人は、金儲けに目がない。金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。しかしまた、守銭奴はほとんどいない。いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。この国では、現金の二、三万フランもあれば金持ちだといわれる。一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。金さえあれば、豪勢な暮らしをすること、友人をよくもてなすこと、自己の気まぐれだけを考えている。

 

数多くの人びとが、常に街道に出てきては好機をねらっている。ここに無くてもあそこでは出くわすかもしれない、何か宝物でも見付かるかもしれない、まだ開発されていない何か高価な資源でも発見できるかもしれない、何か金を稼ぐ新しい手段を発明できるかもしれない、などと期待している。ある道などでは、住民の半数がちゃんと定住しておらず、貧困から遁れるために一、二年もすると移住し、少しするとまた移住し、同じことをくり返しながら最上のものを探し求めるのだが、ほとんどいつも最悪なものに出くわしている。

2011年8月16日火曜日

朝鮮人「これが”コリアン・キックボクシング”ニダ!」→タイ人「どうみてもムエタイじゃねーか!」

Youtubeに笑劇的な動画がアップされた模様。

以下、内容を簡単にご紹介。


「Korean Kickboxing Kyuktooki documentary」 と題されたこの動画は、『Kyuktooki(読みはキョットギっぽいかんじ)』と呼ばれる朝鮮流キックボクシングについて紹介しているらしい。

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「Kyuk Too Ki - Korean Kick Boxing」

このPR動画を公開しているのはTURTLEPRESS.COMという、主に韓国武術に関する書籍やDVDを制作している出版メーカーである。米国の会社ではあるが社長は韓国系、社章の亀は亀甲船をイメージしていると聞けば、そのやばさはご推察いただけるだろう。

TURTLEPRESS社の手にかかればウリジナル武術のコリエイトなどお手の物。しかしこのウリナラ武術は日本武道や中国武術のパクリではない。

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ムエタイ選手のつけている腕輪「パープラチアット」

そう、ムエタイなのである。パクり元を日中からタイへと華麗にシフトさせたのだ。
当然、「朝鮮独自」の武術であるとアピールするために、ムエタイとの差別化を図った「チョイ足し」することも忘れていない。

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師範「KyukTooKi』の武器は、拳、肘、膝、脚、掴み、投げ、締めです。」

振るっているのは、「KyukTooKiの歴史」だ。少しでもムエタイに触れるかとおもいきや、

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師範「この武術の起源はエジプトだと知られています。」

まさかのエジプト起源説である。だれも文句を付けられないところまでさかのぼってしまった。これでタイ人から「KyukTookiはムエタイのパクリじゃないか!」と指摘されても、「全ての格闘技は、他の格闘技の影響をすくなからず受けている。ムエタイだって元をたどればエジプトに行き着く。それとも、君たちはムエタイを無から創りだしたとでもいうのかね?」と煙に巻くことができようというもの。下手に三国時代などを起源にしてしまうと「海東剣道」のように法廷で嘘がバレかねない。

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師範「韓国ではKyuk Too Ki 協会は1970年代に設立されました。」

設立年は近年であっても構わない。むしろ都合の悪いことは「近代に体系化された武術だから~~」と切り抜けられるようになる。伝統武術の神秘性と近代武術の柔軟さのイイトコどりである。

さて、こんな与太話を吹聴する恥知らずの面はどんなものかと拝んでみれば、

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「アジア王者ジュン・ヨンハン」

期待を裏切らない安定感。

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少年「将来はチャンピオンになりたい」

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「初段黒帯カン・ムンスク」

ご多分にもれず女子供をターゲットにするところも、さすが朝鮮武術の面目躍如といったところ。


この動画には、「微笑みの国」として知られるタイ王国の温和な人々もさすがに頭に来たようで、コメント欄はタイ語のコメントや、タイ人と名乗る人による英語の書込みで溢れかえっている。

タイの皆さん。私たちも同じ苦しみを共有するものです。ともに韓国の嘘と戦いましょう!

2011年8月3日水曜日

【翻訳済み】WJFさん(現GJFさん)、朝鮮メディアデビュー

WonderusJapanForeverプロジェクトの「韓国の古地図に竹島は描かれているか」が朝鮮のメディアで取り上げられた模様。ざっと翻訳する。


日防衛白書に古地図の比較動画…「非常識だ」

【マネートゥデイ】入力 2011.08.02 13:51 ハン・ジャヘ記者

▲日本人が作ったものと推定される韓国と日本の古地図の比較動画

日本が2011年の防衛白書で独島領有権を公式決定したなか、日本と韓国の古地図を比較し、独島の領有権を主張している動画が話題だ。

去る6月23日に投稿された動画は、「日本では竹島(独島)を正確に描いた古地図が日本には数多く存在する」とし「韓国には、竹島(独島)を描いた古地図が存在しない」と主張した。

続いて「韓国が偽ではなく、確かな真実のために、適切な未来に向かってよくていくことを希望する」と付け加えた。

この動画は、20以上の言語の翻訳動画が出ている。

動画を見たネチズンたちは「徹底的に対応しなければならない」「動画流布を防がなければならない」「非常識だ」などのコメントで感情を現わした。 
 
2日午前、日本政府は、閣僚会議を通じて独島領有権を既成事実化する内容を含む防衛白書を正式決定した。

防衛白書の第1部「我が国を取り巻く安全保障環境の概観」では「日本固有の領土である北方領土と竹島(独島)の領土問題が依然として未解決の状態」と記述した。

また、日本の主権が及ぶ領土を扱った地図で独島を「タケシマ(竹島)」と表記して領有権を既成事実化した。



元記事:日방위백서에 고지도 비교 동영상…"정신나갔다" (中央日報)
http://article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=5888429

2011年8月1日月曜日

海東剣道の主張する歴史を翻訳する

 

先の裁判記録から分かる通り海東剣道は近年創作されたウリナラ武道である。このことは海東剣道創設者も認めており、また海東剣道連盟の”公式な”立場でもある。

しかし伝統武術の振りをするというのは実に抗いがたい魅力があるらしく、世界各地に散らばる海東剣道支部のサイトには未だに「海東剣道は、高句麗の士武郎(サムラン)に由来する伝統剣術である」などという妄想が堂々と掲載されていたりする。

今回は、そんな海東剣道の主張する歴史を翻訳してみようと思う。


海東剣道について

海東剣道とは?

海東剣道は剣術の韓国スタイルです。それは剣を用いて、大規模戦闘を想定した一対多の戦闘と一対一の戦闘用に開発されました。

とはいえ、剣を用いた格闘戦の時代は終わりを告げました。剣の道を学ぶことは、社交儀礼を身につけた古えの戦士たちとつながるため、我々の内なる戦士の魂を育むための道です。海東剣道を学ぶことはあなたの体と心と精神を磨くための素晴らしい方法なのです。

海東剣道の稽古は4つの主要な領域から成ります。

・Kibon Dongjak - ここでは、生徒は基本の構えの訓練と木剣を使った斬撃に励みます。
・Gyukgums - ここでは生徒はパートナーと共に、あらかじめ決められた攻撃と防御の流れの学習に励みます
・Gumbup - ここでは生徒は流動的な動作による数千通りの動き方や切り方を学びます。生徒が習う形は彼らのランクに応じて決まります。
・Baegi - ひとたび黒帯を獲得し真剣を操る責任感と成熟度を示した生徒は、竹、藁マット、紙、果物など様々な標的の切り方を学びます。

海東剣道の歴史

海東剣道は、高句麗(BC37-AD668)と呼ばれる古代朝鮮に由来する武術です。白頭山の三池淵に道場を開いたSul Bong師[*1]によって創設されました。彼は弟子たちに愛国心、親孝行、年長者への尊敬、正義の行使の考えに基づく武術を基本とした剣術を弟子たちに教えていました。中でも優れたものは士武郎(Samurang)と呼ばれ、彼らは常に不正義に対する戦いの第一線にいました。

士武郎の理念は:[*2]

・Jun(尊敬)
・Sa(師)
・Chung(重要性)
・Do(正道)
・Chung(愛国)
・Whoo(正義への畏敬)

剣術と道の知識を備えた戦士たちは高句麗の大王たちの大いなる助けとなりました。士武郎たちは将軍となり、好戦的な近隣諸国に対する防衛を手助けし、高句麗の安定と安全に多大な貢献をしました。高句麗の士武郎制度は、百済の騎士道として、また(テコンドーのもととなったテッキョンの発明者としてしばしば参照される)新羅の花郎道として導入され、多くの有能な戦士たちを訓練するために使用されました。

彼らがもたらした高句麗戦士の成功は、韓国史に前例のないことでした。彼らの統率力を通じ、古代中国王朝の隋による過去に類を見ない200万の侵略者を退けました。これらの戦士のおかげで、高句麗の人々は極東の支配国家として700年の平和を謳歌しました。平和と正義を守る士武郎の闘争心は価値ある精神として、また子孫の誇りとして残りました。

士武郎の歴史は大変興味深く、多くの議論がなされ、多くが未解明です。ジョシュア・マリノによれば、彼らのあり方は、中国による高句麗侵略後、日本のサムライの基礎となりました。中国の侵略により高句麗軍が敗れた後の668年、優れた士武郎の将軍達が日本に逃れました。彼らは中国語と日本語を操り、中国による民族浄化から逃れるため隠遁する僧侶となりました。彼らはそのような生活を続け、500年の時が過ぎ、彼らの子孫が日本の侍階級を作りました。更に詳しく知りたい方には、マリノ氏による素晴らしい著書「Kwanjangnim Original Haidong Gumdo」を読むことをお勧めします。

日本に渡らなかった士武郎は、組織を残し皆殺しから逃れるために山々に隠れ住むようになりました。中国の占領者は、韓国の伝統武術を関する全ての書物を消し去ろうと躍起になりましたが、戦士たちは密かに訓練をし、師から弟子へ彼らの歴史を口伝で伝えて守りました。1592年の秀吉による韓国侵略後、日本の剣道が韓国に根付きました。この侵略と、20世紀前半の日本による韓国侵略によって、韓国の伝統武術はほとんど痕跡を消してしまいました。しかし韓国の伝統武術を取り戻そうという新たな運動のおかげで、今日、多くの韓国伝統武術が再び韓国に根付いています。

後に海東剣道となる武術はおよそ40年前、ある郊外の山でチャンペクサン師範[*3]によって現在の世界海東剣道連盟会長であるキム・チョンホに指導されました。それまで韓国に広まっていた一対一に焦点をあてたコムドはあまりに日本的すぎるとキム師範は感じていました。彼は、テコンドーの徒手技術で発生するような煌きをもたらすために隠された韓国剣術を追求しました。

コムドに足りないものを補うため、キム師範は海東剣道を戦場や一対多のための技術に基づいて作り上げました。剣道やコムドの技術は一対一の戦闘に基づいています。キム師範が学んだ歴史的韓国剣術は双手剣などを含め数多くあります。これらの武術は全て、1798年に李徳懋将軍により韓国武術史保存のために書かれた韓国の武芸教本『武藝図譜通志』の中に見つけられます。鋭刀、提督剣、双剣などが韓国の歴史的剣術に含まれます。海東剣道はこれらの剣術各々に、10-15の形を作り加えました。これらは海東剣道の公式の形となりました。そのため、海東剣道の修行者は双手剣法、鋭刀剣法、Shimsang剣法、本国剣法、提督剣法、海東剣法などを学びます。

受け、斬り、突き、格闘、腹式呼吸といった海東剣道の基本技術とその基礎は、高句麗の士武郎が高句麗史上最強の戦士となる手助けとなりました。そのため、海東剣道が最も重要視するのは、日本剣道の単純さでも、中国カンフー剣術の複雑さでもありません。むしろ最も現実的な剣術としてのプライドをもっているのです。中国が漢から唐へと移り変わり、東夷族など多くの国々が盛衰する一方、700年続いた古代高句麗の存在は決して小さなものではありません。

高句麗王朝からほぼ1300年後、海東剣道によって韓国剣術の壮大な歴史が取り戻されました。韓国の歴史の生徒として、私たちは高句麗に多くの愛情を持ちながら、しかしその愛情を満たす程の知識を持っていません。それ故に海東剣道の創始者は、北の地を700年間支配してきた大高句麗の末裔として、それを学ぶもの全てにいにしえの士武郎の意思を引継ぎ、海東剣道を通じ高句麗の精神を世界に教えて欲しいと願うのです。


*1…Sul bong師匠というのが何者かわからなかった。

*2…チャンペクサン師匠という人物は創作であると言われている。ペクトサン師匠と呼ばれることもあり、どちらの名前も、朝鮮最高峰の「長白山/白頭山」の朝鮮語読みである。日本人の感覚で言えば、「私の師匠はマスター・フジヤマです」というようなレベルで、彼らの嘘が如何に安直であるかをものがたっている。

*3…この士武郎の理念というはちょくちょく変わるようで、この他には「忠・孝・礼・義・信・智」の6つだったり「忠・孝・礼・義」に4つに減ったりする。元ネタは儒教の徳目(仁・義・礼・智・信、および孝・悌・忠)

翻訳元:www.hdgdpanam.com/AboutHaidongGumdo.aspx