『元史』王英伝に、英(字は邦傑で益都人、官職は莒州千戸)は双刀を善く用い、刀王と号したとある。 『兵略纂聞』に曰く、「劉顕(南昌人で、官職は都督、劉綎の父)は、兜と鎧を着なくても敵に会えば両刀をかかげて跳躍するほどに敏捷で、刀を振り回すと刃が見えなかった」 【案】刀剣は、身を衛るために作った武器なので、昔は必ず法術があった。もし後世に譜訣があったならば、魯句践(戦国時代の邯鄲人、荊軻と巡游した)は、荊卿が剣術に粗略なのを嘆いただろう。(『史記』巻86「刺客列伝」) 周と秦からは考証することがない。しかし、『家語』に曰く、「子路が戎服で孔子に会い剣を抜いて舞いながら言った、“昔の君子は、剣で自分を守りました”」 『史記』に曰く、「項羽が劉邦と会った時、項庄と項伯が剣を抜いて舞った」 |
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