2011年7月3日日曜日

ワシントン州立大学のトンデモ通信教材を翻訳する その2

先史時代

前3世紀まで日本人が定住していなかったとはいえ、30,000年前から日本に人類は住んでいた[*1]。日本は常に島であったわけではない。氷河期には陸の橋を通じて朝鮮半島とつながっていた。日本の四つの主要島も繋がっており、南部の島・九州は朝鮮半島と、北部の島・北海道はシベリアとつながっていた。石器時代の人類は、ベーリングの陸の橋を渡ってアメリカに渡ったのと同様に、この陸の橋を渡ったのだ。彼らの残した火おこしの道具から、彼らの到来は30,000年前であったと遡れる[*2]。

縄文

紀元前10,000年ごろから数千年に渡って、彼ら原住民は独特の文化を生み出した。いわゆる縄文文化だ。文字を持たない他の民族たちと同様、我々は道具の断片と人類学者・考古学者の想像ゆたかな推測によって彼らを知ることが出来る。縄文とは「紐の模様」を意味し、これは彼らが土器に紐の跡をあしらったことに由来する。これは人類史上最も古い土器である。土器は新石器人の特徴である。ところが縄文人は中石器人だ。[*3]すべての証拠は彼らが、非常に小さな部族単位で生活する狩猟・採集・漁猟民族であったことを示している。さらに彼らは土器に加え、女性の様に見える神秘的な像もつくっていた。古代の女神信仰だろうか?[*4]

縄文時代は6つの時期区分にわけられる。一万年という時間は無文字文化でさえ劇的に変えてしまうほどの長い時間だ。時期区分は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期である。

(略)

弥生時代

縄文文化は前11世紀に始まり、大陸からの移民の波によって駆逐される前3世紀まで日本で栄えた文化で、実質的には中石器文化だ。(とはいえ彼らは、土器製造など新石器の特徴も示している。)移民たちは弥生人とよばれ、彼らの起源は中国北部に広がっている。中国北部はもともと温暖で、森林・河川・降雨に恵まれた緑豊かな土地であった。しかし紀元前数千年のころから乾燥が始まった。ゴビ砂漠という世界最大級の砂漠を生み出したこの乾燥は、住民を南方と東方に追いやった。この人々は韓国に押し寄せ先住民族を追放した。
しかしこの新たな定住者たちもけっきょく中国北部からの新たな移民の波によって追い出され、多くが日本列島へと渡った。多数の言語学者によれば、中国北部・韓国・日本の言語が同一語族[アルタイ語族]であるのはこのためである。ゆえに中国北部で話されるモンゴル語もこの語族の一つである。またモンゴルが、遠く西側諸国まで征服したため、日本語が属する語族は、日本からヨーロッパまでの様々な地域で使われている。この語族の最西端はハンガリーのマジャール語であり、最東端は日本語である。

弥生人は農耕、青銅器・鉄器を用いた作業、そして後に神道に発展する新たな宗教を持ち込んだ。(神道という名が与えられるのはずっとずっと後のことである。)この移民が先住民族に対して何をしたのかは分からないが、いくつかの可能性がある。日本で広く受け入れられている学説によれば、弥生人の移民の波は非常に小さかったとされる。新技術を持ち込んだにも関わらず彼らが現地の縄文文化に同化したからだ。この説明によれば、特に神道に代表される日本の文化は太古から固有のものであった。縄文人はオーストロネシア語を話していたと信じる日本人もいる。すなわち、縄文人は南太平洋諸島民により近く、また現代日本語も太平洋諸島の言葉であると。

日本文化の起源がなんであれ、日本の言語・社会構造・宗教は弥生人の移住よりも過去には遡れないのは明らかだ。つまりあらゆる実質的な意味で、日本文化の新たな始まりは弥生時代なのだ。その変化は、産業革命による変化を遙かに凌駕するほど劇的だった。新たな移民により日本の文化は一夜にして変わったのだ。8000年に渡る文化的平穏は、一気に農耕時代へと引き上げられた。

弥生人は氏(うじ)と呼ばれる一族で構成される。これらの氏族は、戦闘の司令官であると同時に宗教指導者でもある族長に率いられた。各々の氏族には、族長が責任を負う一柱の神が関連付けられていた。全ての儀式は、族長によって演じられるこの神に関連付けられた。これらの神々は「カミ」と呼ばれ、自然やこの世の神秘的な力を象徴していた。弥生人はまた、神々によって世界が作られたという考え方を持っていたと我々は信じる。一つの氏族が別の氏族を征服するとき、征服される側の神を自分たちの宗教体系に吸収した。このようにして弥生人は、氏族のヒエラルキーが神々のヒエラルキーに反映された複雑な神々の殿堂をゆっくりと築きあげていった。

弥生人の生活は原始的であった。彼らは文字や貨幣のシステムを持たず、麻や樹皮から作られた服を主に着ていた。婚姻はしばしば一夫多妻制であったが、女性は氏族社会の重要な地位を担っていた。女性が族長や宗教指導者として任命されることさえ可能だった。この可能性は、日本について初めて言及した中国の歴史書によって支持されている。[*5]

氏族間の関係は複雑であった。ゆるやかな地域間の衝突が徐々に小国家のようなものを生み出した。しかし日本最初の国家が出来た地域は、西暦200年に中国の影響が届き始めた大和半島[紀伊半島]である。



*1...この教材の著者ロバート・フッカーによれば、縄文人は日本人ではない。本文において日本人とは、朝鮮半島からの渡来人である弥生人とその末裔を指す。

*2...火おこしの道具というのはよく分からないが、日本における30,000年前の人類居住の証拠として立川ローム第X層中の磨製石斧が挙げられる。

*3...石器時代の区分は、日本では旧石器・新石器の二区分法が、欧米では旧石器・中石器・新石器の三区分法が主流だ。旧石器文化は打製石器を用いた狩猟・採集・漁労の時代、新石器文化は磨製石器・土器を用いた農耕・牧畜の時代とされる。中石器文化は旧石器から新石器への過渡期であり、細石刃の使用が特徴である。

*4...女性型の像とはもちろん土偶のこと。世界中の石器時代の遺跡から乳房・臀部・腹部を強調した女性像が見つかっており、日本の土偶もこのうちの含まれると考える専門家もいる。(参考:http://en.wikipedia.org/wiki/Venus_figurines)

*5...『魏志倭人伝』にある卑弥呼・臺與。



[]内は訳者による注釈

0 件のコメント:

コメントを投稿