2011年7月21日木曜日

ワシントン州立大学のトンデモ通信教材を翻訳する その8

音楽

奈良時代以前の他の文化と同様に、奈良平安以前の音楽的生態の再構築は非常に難しい。たしかに日本は、中国・韓国の影響が6世紀に伝来する以前から、活力ある音楽の伝統を持っていた。この伝統は、流行歌の一部に、政治社会問題の大部分に、神道儀式や祝詞に、またおそらく奈良平安時代から伝わる宮廷音楽や宮廷舞踊の中にも生き残っている。しかしこの音楽がどの程度日本由来のものであるか割り出すのは難しい。

日本が音楽について記録し始めた時にはすでに、おもに発祥地や地理的起源によって音楽を分類する洗練された音楽理論を開発していたようだ。日本と米国の音楽史研究者はともに、初期日本音楽を仏教音楽・神道音楽・流行歌・宮廷音楽(雅楽)・軍歌などに分類するが、初期日本では地域ごとの音楽として分類した。よって、もしあなたが古代日本の音楽の成り立ちについて何らかの教育を施されていたなら、古代日本音楽を聞く現代の音楽学者や聴衆がするような「使用法による音楽の分類」ではなく、「文化による音楽の分類」を聞いたことがあるだろう。

日本の音楽は、雅楽・唐楽・唐散楽・高麗楽・林邑楽などに分類される。不幸にも、時代の日本の楽譜は残されていないが、それがどのような音楽であったか書に残された説明に基づいて想像できる。

古代日本で世俗を支配した音楽は、雅楽と呉楽である。これは中国南方と北インドシナから輸入された流行の舞踊と無言劇のための音楽スタイルだ。これは6世紀末にもっとも流行った公的音楽であると言っても良い。しかしこの音楽はのちに、公的音楽のうち最も低級な形式へと落ちこぼれた。

唐楽と唐散楽は中国・唐を起源とする音楽である。この唐王朝の音楽の生態は、極端に種類が多く多文化的だ。”ten styles of music”と呼ばれる正式な規則が朝廷での中国・渡来音楽の序列や演奏法を支配した。楽曲の双方が”ten styles of music”の音楽形式と学術的規則に則っている場合、その音楽は唐楽となる。しかし、楽曲が唐の流行歌から成り立っている場合、その楽曲は唐三楽となる。三楽は初期音楽の中で最も活発で刺激的だ。歌の合間に曲芸的で力強い無言劇を撒き散らすのだ。

最後に、高麗楽は韓国の三国時代の音楽であり、林邑楽は南アジアの音楽である。林邑楽は常に舞踊と無言劇を含んでいる。

古代日本の公的音楽において、音楽とその他の要素を分離することは不可能であった。物語・無言劇・舞踊・曲芸および全ての音楽形式は、音楽とその他の要素のまとまりとして認識されるのだ。おそらく今なお続く主な間違いは、現代人としての我々が、音楽はその他の演技の面から分離できるという何かしらの考えをこの音楽の成り立ちに持ち込んでしまうことだろう。19世紀の西洋の音楽美学においては「音楽のみ」と言われた。しかし古代日本の宮廷音楽は、演技・無言劇・物語・舞踊を伴わなければ意味を成さないのだ。

(以下略)

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