日本語
他のすべての言語と同じく日本語は、形式的には言語学的特徴のまとまりとして、主観的には世界の成り立ちと序列の一手段として理解することが可能だ。しかし他の言語と違って日本語は、言語学者にとっても日本語話者にとってもユニークな言語である。日本人は全般的に、自分たちの言語が高度に独自なものであると信じている。日本語は、この世に存在するいかなる言語とも似ていないと信じるものさえいる。西洋の言語学者は、北アジアの諸言語と日本語の間には明らかに関連性があると信じているが、しかしこれらの言語の間にはかなりの量の非類似性もあるのだ。日本語は、何処からやって来てどの言語と関連性があるか断言できない唯一の人間語だといえば十分だろう。
日本人の見解では、この言語の成り立ちは広く受け入れられている二つの信念に基づいている。一つ。日本人は、日本語はまるではじめから日本語として存在した言語であるかのような、とにかく非常に独特な言語であると信じている。二つ。日本語は、非日本語話者にとって読んだり理解したりするのがとても難しい言語であると信じている。事実日本人は、日本語を理解し話せる非日本人のことを「ヘンガイジン(狂った外国人)」と呼ぶ。つまり日本人にとってのこの言語の成り立ちは「自分たちは、他者には理解も共有も出来ない言語を利用している」という意味を持った排他なものなのだ。
西洋的な広い視野からすると日本語は、ユニークな言語でも極端に習得が難しい言語でもない。(中国語や古アイルランド語のほうが相当むずかしい)まあこの議論はここで終りとしよう。日本語が由来する語族が不確かであるため、西洋・日本双方の学者の間には、日本語の起源について3つの主要な説が存在する。
1.日本語は、韓国語・モンゴル語・トルコ語と関連のあるアルタイ語族である。
2.日本語は、パプア語・マレー語・太平洋諸語と関連のあるオーストロネシア語族である。
3.日本語は、ベトナム語・チベット語・ビルマ語と関連のある東南アジア語族である(または、ある学派の考えでは南インドやセイロンの言語であるタミル語族である)
ほとんどの言語学者は、日本語はアルタイ語族であると考えている。弥生人は韓国から移民しただろうという事実を考慮するとそれなりに道理が通るからだ。しかし、かなりの数の日本の言語学者は、日本語はオーストロネシア語族だと考えている。これらの視点の相違は、日本語の起源をめぐる3つの理論を盛り上げている。
1.西洋のモデルによると日本語は、北アジアで話された言語がいくつかに枝分かれした(例えばモンゴル語・韓国語・トルコ語)うちの一つに由来する。初期日本人もおそらくこの言語を話していただろうが、弥生人は間違いなくこの言語を話していた。弥生時代の終り(西暦300年)には、このアルタイ語族の言語は列島を占拠した。この言語は一部、日本を取り巻く太平洋諸島の言語(オーストロネシア語)の影響を受け、従って日本語にオーストロネシア語の基層を形作った。
2.縄文人はオーストロネシア語を話し、弥生人がアルタイ語を導入した。このアルタイ語はこの島々で話されていたオーストロネシア語と融合し、日本を席巻することと成る独特の合成語である日本語を形作った。このモデルでは二つの可能性がある。日本語は、オーストロネシア語の基層を持つアルタイ語であるか、アルタイ語の基層を持つオーストロネシア語である。お好きな方をえらんでくれたまえ。
3.日本語はもともと4~5千年前の東南アジア人の大移動の間に日本に導入されたチベット語、あるいはタミル語と関連があった。この言語は、そう、あなたのご想像のとおり、アルタイ語とオーストロネシア語と融合し現在の言語を形作った。
これは踏み込んで進んでいくには大変な沼地だ。日本語に関連するほとんどについて基本的に同意していない西洋と日本の言語学者たちは助けにならない。世界中の言語学者の場合もそうだが、日本語は愚かであると告発しようとする西洋の言語学者と同様の遠慮をする日本の言語学者による議論はほとんど中傷レベルで行われている。
しかし現在のところ、これが日本語の歴史についての標準的な説明だ。
弥生人はもともと朝鮮半島からの移民であり、アルタイ語を持ち込んだ。この言語は列島でそれまで話されていた言語と融合した。もともとの言語がアルタイ語だったかどうかは分からないが、しかし日本語はあるレベルで太平洋諸語の影響をうけている。彼らは比較的孤立していたので、日本語は、関連性のあった他言語から大きく異なった。これに加え、中国文化から新しい思考法とその表現法が導入された際に、中国語が日本語を根底から変化させた。
事実、ほとんどの日本語の単語(正確には60%以上)は中国起源である。この状況は英語と似ている。英単語の60%がラテン語に由来し、原初英語由来の英単語は少数派である。しかし日本語の文法は大幅には変化しなかった。
徳川時代(1603-1868)、日本語は西洋の言語に大いに影響を受けた。特定の技術が、新たな単語群と表現群を導入した。文法の分野では、三島由紀夫のように、英語に翻訳しやすいように日本語を書く作家も現れた。結果として彼らは、西洋の言語に適するようにいくつかの文法構造を大幅に変化させた。
一言語としての日本語はどのようなものであるか?あらゆる面で日本語は、英語やその他の欧州言語の成り立ちとは全く似ていない。英語と違い、日本語の文構造は主語-目的語-動詞だ。(SOV型言語と呼ばれる。英語はSVO型の文構造である)一方、他言語を学ぶに人々にとって馴染み深いように、主語と目的語の間の関係が英語の表現よりも遙かに親密である。
日本語学習者が最初に気づくことは、日本語は二音節言語であるということだ。(ほとんどの語が二つの音節により形作られている)各音節は一つの子音(consonant)と一つの母音(vowel)によってのみ構成される。(CV音節と呼ばれる)しかしこれらの音節は英語の音節(syllable)とは異なる。日本語ではモーラ(mora)と呼ばれ、すべての音節が子音-母音の構造を持つ。子-母-子の音節は存在しない。もし子音が母音を従えない場合は、一音節と勘定される。「新聞(shinbun)」という単語は4音節あるいは4モーラ(shi-n-bu-n)を持ち、「太巻(futomaki)」も同様に4音節を持っている。日本の詩歌を学ぶものはこれを覚えるべきだ。日本のすべての詩歌は音節を数えることに基づいているが、英語や他の欧州言語のような音節効果を表現しては決してならない。加えてこのモーラシステムは、英単語を日本語に適用しようとした場合に不可解な表現を引き起こす。中国語を除く外来語の多くは圧倒的に英語由来である。しかし日本人がこれらの単語を英語話者に使おうとすると、おそらく彼らは混乱するだろう。これは、日本語が全ての音節で子音-母音の形式を取らねばならないからだ。例えば、ベスボル(baseball)において打者が投球を空振りした場合、「strike」ではなく「セトゥロク」という。(操業を停止しだした労働者のことは「セトゥロキ」という)
日本語に出会った英語話者にとっての最も驚くべき違いは、日本語は強い屈折語ではないということだ。つまり日本語は、ひとまとまりの接尾辞を付加することで動詞や名詞の様々な用法を定義するのではなく、それ自体が一つの単語である助詞を使うことで名詞や動詞の性質を表す。これはある意味、日本語の学習を容易にする。しかしこれらの助詞は、我々が英語や欧州言語に持つ分類と一致しない。
(以下略)
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