2011年7月8日金曜日

ワシントン州立大学のトンデモ通信教材を翻訳する その4

神道
徳川時代(1600-1868)の日本の思想哲学をみれば、「神道」こそが「日本」というものを体現している。徳川の"啓蒙"は「国学」を学ぶ思想家集団に活気を与えた。国学は大雑把に「土着文化復興主義(nativism)」「日本学」「先住民文化研究学」と翻訳できる。しかし国学は、日本学という用語から連想されるような無味乾燥な学術分野ではない。外国からの影響を受ける以前、とくに中国により日本文化が"堕落"する以前に存在した本質的な日本の特質を回復しようという確固とした哲学的・文学的・学術的な取り組みなのだ。本質的な日本の特質を回復するとは、何が日本由来で何がそうでないかを見極め、日本文化をさまざまな海外の文化、つまり儒教(中国)・道教(中国)・仏教(印中)・キリスト教(西欧)などから分離することである。国学者はその活動のほとんどを、断片化された文書と孤立した無関係の大衆宗教の習慣から日本の土着宗教である神道を復興することに注力した。

こんな前向きな姿勢にも関わらず、神道はおそらく日本の土着宗教ではないだろう。というのも「日本人」は日本の土着民ではないからだ。神道は多種多様で無関係な宗教や神話の集合体のように見える。実際のところ「神道」と呼べる確固とした一つのものがあるのではなく、神道というカテゴリの元に集められた数々の宗教的カルトがあるのだ。神道という名前自体も誤解を与えやすい。霊的な力や神性を意味する「神(shen)」と、道や進路を意味する「道(tao)」という二つの中国語を組み合わせたこの言葉が初めて使われたのは近世が始まってからだ。大和言葉では「随神(かんながら)」という。初期日本の宗教を神道と呼ぶことは、身の毛もよだつ耐え難い時代錯誤だ。

神道の原始的性質と由来を突き止めるのは至難であるが、いくつかの一般的主張をすることは可能だ。第一に、初期神道は部族宗教であり、国家宗教ではなかった。韓国から日本へと渡ってきた各々の部族や氏族は、緊密な中央集権国家に組織されたのちでさえ、各自の神道の教えを保ったのだ。

第二に、全ての神道宗派は、一般に神性を意味する「神(かみ)」を信仰する。各々の氏族(政治的・軍事的・宗教的構成単位)は、氏族の始祖や創立者であると見なされる一柱の神を信仰する。氏族が分裂するときは特定の神への信仰も連れて行く。ある氏族が別の氏族を征服した場合、負けた氏族の神は勝った氏族の神に取り込まれる。神の成り立ちを突き止めるのは難しいが、最初の神々は創造神である天・地・冥界の神々であると見なされている。すべての神道宗派は、その最初期のものであっても、非常に発達した創造神話を持っていたようだ。しかし「神」は、先祖の霊から存命中の人間・特定の地域・村落・動物・植物・地形にいたるまで、あらゆるものにある種の神性を与える。実際、この世のあらゆるのものが不可思議で、壮大で、人生に影響をあたえるものだと考えられているのだ。これは初期日本人が、氏族固有の神だけでなく、無数の先祖・霊的存在・神なる自然の力に自分たちは支配されているのだと感じていたことを意味する。神性の潜在性の一例としてこんな話がある。旅の途中で嵐に遭遇したある天皇が、彼を歓迎するように軒下で手招きする猫に出会った。この尋常でない現象に興味をひかれ、天皇は馬から降りて軒下に近づいた。軒下に着くやいなや彼の馬が立っていた場所に雷が落ち、馬はたちまち死んでしまった。この故事から猫は、神道において慈悲と保護の神として崇拝される。日本のレストランに立ち寄れば、災いから建物を守る磁器製の招き猫を見つけられるはずだ。[*1]

第三に、すべての神道はある種の神社信仰に関与している。最も重要な場所は日本海沿岸に位置する出雲大社だ。元来これらの神社は木々に囲まれた清浄な地(神籬・ひもろぎ)か、岩に囲まれた清浄な地(磐境・いわさか)の一部だ。神道の神社は通常、地面から高く作られた一つの部屋(あるいは部屋のミニチュア)があり、中に物が納められている。ある者は神社の中にいる神を信仰する。社屋の外には「鳥居」と呼ばれる手洗場があり[*2]、ここは社屋に入る前に手や、ときには顔を洗う場である。禊と呼ばれるこの洗浄手順は、祈祷や呪文も含めて、神道における主要な儀式の一つである。またある者は、参拝することで神社自体を信仰する。信仰対象に身を捧げたり、供物を献上したりする。供え物は農作物から大金に到るまで様々だ。神道の祈祷(祝詞・のりと)は発せられた言葉が霊的な力を持つという「言霊信仰」に基づいている。正しく唱えられれば、祝詞は好意的な結果をもたらしてくれるだろう。

不幸なことに誰も記録を残さなかったため、初期神道がどういうものであったかを我々はほとんど知ることが出来ない。事実、初期神道は作り話だろう。初期神道と呼ばれるものは単に、中央集権国家の登場により数多くの無関係な土着宗教が衆合して始まったものなのだ。歴史は、この原来の宗教に神道以外のアイディアを膨大に付け加えた。仏教・儒教・朱子学は神道に重大な変化を与えた。

神道教義と神話についての偉大な2冊の書である「古事記」と「日本書紀」は、仏教が日本の国教であると宣言されてから200年後の西暦700年頃に書かれた。これらの記紀は、神道式創世記を含めた神道の神話のみしか記載していない。にも関わらずこの2冊は仏教と儒教の影響を強く受けており、神々の物語は、中国と韓国が大昔に考えた物語にひどく"汚染"されている。


*1…招き猫に関する逸話は筆者の勘違いと思われる。招き猫と雷雨に関連する言い伝えといえば、豪徳寺(東京都世田谷区)に伝わるものが想起される。曰く、彦根藩主・井伊直孝が鷹狩の帰りに豪徳寺にさしかかると、門前の猫が手招きをするような仕草をしたため、寺に立ち寄り休憩した。直後に雷雨が降り始め、これに当たらずにすんだと喜んだ直孝は、のちに豪徳寺に多額の寄進をした。和尚はこの猫が死ぬと弔いの墓をたて、後に招猫堂が境内に建立されたという。

*2…もちろん、神社の手を洗う場所は「鳥居」ではなく「手水舎」である。

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